歴史探訪 葉栗小学校編③ 「小学校の水泳場は 魚も泳ぐ流れるプール」

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昭和20年頃の水泳場(想像画)もうすぐ(7月26日~)パリ五輪です。五輪と言えば年配の皆さんは、テレビなどで当時のラジオから流れる「前畑ガンバレ・・・」を連呼する特徴的な放送を想いおこさせる方も多いでしょう。前畑さんとは昭和11年(1936)ベルリン五輪の女子200ⅿ平泳ぎで、2位と1秒差で日本女子初の金メダルに輝いた前畑秀子さんのことです。実は前畑さんは前回のロサンゼルス五輪では0.1秒差の銀メダルでした。その後、彼女は一度は引退も考えましたが、国民の声援に押され、リベンジを目指して努力を重ねた結果での快挙で、日本中が歓喜に湧いた一瞬でした。
葉栗小学校のプールの歴史は、戦後までは大人も子供も大江用水など近隣の川で泳いでいました。当校では昭和20年(1945)校庭の大イチョウの南側に、横を流れる上の島用水(宮村用水)から水を引いて水泳場を設けました。そこで泳いだ経験のある方にお話を聞くと「魚もいて、現在で言えば”流れるプール”のようでした。そして、水泳場で泳ぎを練習して上手になると、やっと学校横の用水で泳ぐことができました。また、その用水で泳ぐには年長者が泳力を厳しくチェックしていました。そこには《絶対にいのちを守る》という気持ちがあったのでは」とのことでした。
国内は高度成長下で、スポーツ振興の気運の盛り上がりや全国的に子供の水難事故が多発していたことから、学校プールも急速に普及して行きました。そして、昭和33年(1958)当校に待望の本格的なプールが、市内の他校に先駆けて完成しました。その開場式典には金メダルの前畑さんが来場されました。その後、昭和50年(1975)低学年用プール完成。そして、平成5年(1993)現在のプールが完成しました。
しかし、最近の全国的な学校プールの事情は、維持経費の増加や監視員など安全上の問題などで、その数は減少しているようです。時の流れに一喜一憂し、考えさせられる今日このごろです。

水泳訓練風景(令和5年夏)
着衣泳の指導風景(同)
ペットボトルを使った水難訓練(同)
昭和39年春 校舎と まなびばし

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