怖いもののたとえに「地震・雷・火事・オヤジ」と言いますよね。今年のお正月には能登で悲惨な大地震が発生しました。また近年は、たとえの中にある家庭内のオヤジの地位低下で、代わって突然飛んでくるミサイルがあてはまるのではないでしょうか。今も世界各地で紛争がおき、多くの子供たちも戦争の犠牲になっています。実は葉栗小学校でも1945年(昭和20年)太平洋戦争中に、事務室と炊事室付近に焼夷弾が着弾するということがありました。幸い早く消火され被害は大きくなかったようです。
しかし、爆弾が飛んできては勉強どころではありません。社会の宝である子供たちが安心して勉強ができてこそ、将来の繁栄があると思います。
戦後の1956年(昭和31年2月)北校舎新築の際に、現在の南門の前に流れる宮田用水路の上にコンクリート製の橋ができました。架け替える前の木造の橋の名は「琢磨橋」でした。「琢磨」とは、学問などに励み向上に努めることの意味があります。そして、新しい橋は「まなびばし」と命名されましたが、今では用水路にフタがされ道路になっています。その名ごりに、南門の柱には「まなびばし」の石名板が残されています。
「学びや」が、誰もがいつまでも安全で安心できる世でありますように、橋の姿は私たちの目に映っていないけれど、先人の願いがハッキリと見えるようです。
<歴史アレコレ>
1947年(昭和22年4月) みそ汁給食が始まる
1968年(昭和43年3月) 給食が共同調理場から供給開始
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昭和39年春の校舎とまなびばし